2023年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ

学校・教育

2023年10月 1日 (日)

修学旅行のおこづかいの制限は何のため。

修学旅行に、ディズニーランドに行っていた時期がある。

先生の中に好きな人がいて、それと子供との希望で行くことになっていた。

行く時期は大体5月の中旬に校の平日。

非常に空いているし乗り物もすいている。

僕個人的には、全く遊園地は興味はないし楽しいとも思わなかった。

仕事だから、ついていくのは仕方がない。

 

ディズニーランドでは、生徒たちには指導はしないでほしいとランド側からの要請があり、教師は暇状態。

チェックポイントをつくって人員点呼などということも無く時間を過ごしていた。

 

個人的な時間もしっかり持てて買い物や、昼食などをとることも自由にできた。

生徒たちもそれと同じ。

自由に楽しんでいる。

昼食は、生徒たちもレストランを選んで個人で食べる形。

その費用は持っていく小遣いの中から出すことになっている。

 

この、こづかいの金額は教師が決めるのだが、どういう基準でわれわれは決めていたか。

ディズニーならば大体昼食費込みで1万円。(今から、40年ぐらい前になる)

それ以外は大体5000円程度に決めていた。

 

なぜこれを決めるか?

決めておかないとたくさん持っていく子がいて、華美になるから。

それもあるのはある。

ただ、違反したからといって僕たちは問題視していなかった。

ディズニーランド、今から40年も前。

大阪からなかなか行く機会もなかった。

当然家族からお金を渡されてみやげを買わされている生徒もたくさんいるわけだ。

いろいろな事情があって、子供たちに制限を守らせるのは心苦しい。

 

この制限は何か。

こづかいをなかなか経済状況が厳しくて出してもらえない家庭もある。

そういう家の子が親に小遣いとして出してもらえる金額としての基準を制限という形で出していたのだ。

 

 

違反するといって咎める教師もいそうだが、考えてみたら大人でも物欲の塊みたいな人がミッキーマウスを山ほど抱えて帰る世界。

そんな世界に連れて行くことを反対せずに、生徒に注意するのもおかしいのではないかと思う。

 

僕自身はそのへんのこともあってディズニーランドを修学旅行の目的地にすることはあまり好きではなかった。

 

修学旅行の行き先として、平和教育のできる場所なんて縛りを教師の中にかけている学校もあったりした。

これももう一つ好きではなかった。

 

これについてはまた別に書く。

 

といっても、生徒たちの買っているものを見ているとさほど大量のものを買っている生徒もなく大体は1万円以内しか持ってきていなかったようだ。

 

これが3000円となると違反者が出るのだろう。

 

そこらあたりの金額の決め方も難しいところがある。

結構こんなところにも気をつかう。

 




2023年9月18日 (月)

大学時代の試験のこと。今ならアカハラ。

大学時代の授業で、地学概説1という講義があった。

この講義の教授がゼミの教授で僕ともいろいろあった人だ。

 

単位をとるのがむつかしいことで有名な教授でそこ意地悪いというか、ある意味おもしろい人だった。

この授業2回生開講だった。

必修の授業なので卒業単位としてはどうしても修得が必要な単位だった。

半分以上の学生が一回では合格できない。

非常に、勉強に時間がかかる内容で、単位をとるのがむつかしい。

 

あるかわいらしい先輩(女性だ)を気に入って、その人に絡んでいく。

彼女はまじめで、勉強はしっかりしている。

だが、2回生で単位を修得していない。

その先輩が3回生の時の試験の後。

 

ぼくの研究室での話。

 

テストは40点以上で無制限で合格になる。

それ以下は教授の裁量で合格点が決まる。

その年の裁量点の決まり方。

彼女の点の1点上。

彼女は、不合格になる。

それを本人にいうのだ。

 

当時は、それを不合理とは言えない雰囲気。

 

教授は卒業させるつもりだが、4回生迄彼女をおちょくろうという感じ。

そんなことが行われていた。

 

彼女の4回生の時。僕が3回生。

残念ながら2回生では合格できなかった。

 

その年のテストでの話。

僕は普通に受けたら絶対合格するぐらいの自信をもって勉強していた。

 

テスト用紙は冊子になっていて、ホチキスで止められている。

問題用紙が別でテスト用紙に解答を書き込む。

 

そして名前はそれぞれの用紙に書き込む。

 

結構できた。

結果不合格。

 

先生に理由を聞きに行った。

採点された答案を見た。

4枚の答案用紙を提出したのに採点されたものは3枚しかない。

その合計点は35点以上40点未満。

 

一枚の解答用紙がない。

自分が一番得意な、化学分析に関する内容で、25点満点をとれそうな感じで答えた。

その分がないのだ。

 

助手の先生に聞くと、何枚かのプリントの中に、採点された僕の解答がある。

得点は23点と書いてある。(採点されているのが不思議)

合計点で60点以上 堂々と合格点だ。

 

先生にこれ、僕のですという。

 

「え、誰のかわからない」といわれる。

 

名前の書いてあったところを切断されているのだ。

 

ホチキス止めを外すために上部を裁断機で切ってそれを問題ごとにまとめ直して裁断する、というのだ。

 

そんなこと知らんがな。

 

いつも世話になっている助手の先生から笑いながら言われたのだ。

 

完全にやられたという感じ。

 

先輩のことを知っているから、俺もやられたなという感じ。

 

当時、こんなことにクレームを入れると後々大変なことになる。

学生を守るという雰囲気もない。

「しゃあない」と思えば、卒業させてはもらえる。

来年は合格できる。

そんな感じだった。

必修の単位だから、卒業のキーマンになっているだけに、学生としては弱い立場。

不条理だとは思ったが、なかなか立ち向かえる相手ではなかった。

 

その後いろいろあったのだが、4年で卒業できた。

 

その単位が取れずに8年も大学にいた先輩もいた。

今なら、完全なアカハラ 訴訟ものだと思う。

 

ただ、当時はこのこともそんなものだという感じ。

ほかにもこんな教員が何人もいた。

 

そんな時代だった。

 

 

友達と会ってみてそんなことを思い出した。

 

 




2023年6月21日 (水)

今日の朝日新聞1面

新任教諭の1年以内の離職率が4.4%にもなるらしい。

そのうち半分が精神疾患。

文科省は不登校対応などの仕事が増えて、なんてことを言っている。

 

馬鹿丸出し。

残業手当もない中で、まるっきりの新人が、いきなり何の援助もなく、仕事をさせられる。

それも、知らないで、(情報の非対称性)新年度にしんどい仕事を任される。

 

そんな状況なのだろう。

 

僕も37年教員を続けてきたが、最後の5年ぐらいは目に見えて忙しくなってきた。

評価についてものすごく精細化。

それとクラブ活動を現場でついてやれなんて言いだした。

 

これは、自分には無理。

楽しくないということで、定年で現場を離れた

 

自分としては正解だった。

退職後給食が始まり昼食指導も入ってきた。

 

働き方改革でちょっとはましになっているということは聞いているが、この記事を見る限り、現場はたいへんなんだろう。

 

娘は、大手民間企業に勤めている。

忙しくなったといっているが、毎日9時までに帰ってこれるし、土日はほぼ休み。

それで同じ年の教員に比べて倍程度の年収はあるらしい。

 

年休もほとんど消化できるそうだ。

 

国公立大学を卒業して、大企業に勤めれば普通こんなもの。

 

僕が就職した時には、教員には時間的な余裕は結構あって、旅行等へ行くこともできた。

夏休みは、学校に出ていく必要もなく、自宅で勉強をすることも認められていた。

 

自分としては、そんな時代を過ごしたので、全体としたらこんなものだったのかと思える。

ただ、最後の5年間をその7倍以上の時間続けることはまあ無理だ。

 

知識があり、経験がある中での1年と、新卒からの1年。

給料も違うし、メンタルも違う。

普通はやめると思う。

 

ある意味95%以上の人が残っている。

学校の先生になる人は本当にまじめなんだという数字だと思う。

2023年4月 6日 (木)

バレーボール部体罰

高校で体罰事件。

バレーボールだそうだ。

 

まだやっているのかという感じ

 

体罰に頼る指導が今どきまでできたということが驚きだ。

まだ学校内ではこんな勘違いが残っている。

 

大阪の桜宮高校での体罰による自殺があった後も続いている。

この時の橋下さんの体罰なんて大したことない発言のあとだった。

その後、こんな事件が起こって衝撃走った。

 

これで強豪になったとしても、反則による勝利。

何の値打ちもないことがわからない人がまだいるのが残念だ。

2023年3月26日 (日)

勉強なんか何の役に立つの?





中学校の教員を長く勤めていた。

生徒の中には勉強なんて何の役に立つの

なんていう人もたくさんいた。

 

高校時代、進学校に通っていた。

こんな疑問を出す人は一人もいなかった。

大学時代も同じ。

勉強そのものが好きか嫌いかは別にして

必要のないものだという人間は周りにはいなかった。

 

67歳になったいま

やっぱり勉強は必要だったんだなと改めて思う

高校、大学時代の同級生は現在の生活がしんどいなんて人は

ひとりもいない。

高校時代の同級生では、僕が一番貧しいぐらい

 

年金の不安などもなく悠々と暮らしている

 

 

 

勉強なんて役にたたない

そんなことを言っていた人今はどうなっているのだろうか

2023年3月25日 (土)

久し振りに教え子たちと会う。

コロナ後の最初の同窓会。

今から22年前に卒業した生徒たちの集まりに呼ばれた。

僕はこの学年は3年生の時に進路担当という形で入った学年。

1年間の付き合いだった。

彼らは、37歳になっている。

集まった先生方も全員定年退職。

 

ものすごく懐かしかった。

僕自身は1年だけの付き合いだったので、生徒の顔はなかなか思い出せないし、名前はすっかり忘れている。

ただ、いきなり、「愛があるからいい気持ち」「先生覚えてる。」(IR=E)

と言われたのは、恥ずかしいがうれしかった。

そんなことを覚えてくれているんだ。

教員をやっていて、一番脂の乗り切っていた時期(当時45歳)

進路担当をやりながら、ソフトテニス部で、市の大会では、優勝もさせてもらったり、府大会も連続で出場で来ていた。

当時クラブをやっていた生徒たちも参加していてそんなことを話していた。

 

当時は楽しかった。

でも忙しかったんだと思う。

それは忘れている。

 

入院後夜で歩くのは初めて。

昨日はゆっくり朝まで寝ることができた。

疲れは残っているが、気分は最高。

本当に楽しかった。

2023年3月12日 (日)

東大阪の理科の先生、提訴。

東大阪の中学校の理科の先生が、適応障害を起こしてそれに対する賠償を求めると提訴なさったそうだ。

理科担当で、週時間が20時間。

学年主任と進路指導主事を兼任する。

残業時間が120時間以上3カ月も続いていたそうだ。

 

これは無理だ。

自分も担任をしながら学年主任をしたことがある。

その時の時間数は、総合的な時間、道徳、等を含めて週19時間程度。

同一学年だったので4クラスを持つというのは標準的なもの。

ただ、ここに担任は外れるが、進路指導主事の仕事をプラスすることは、ある意味無理なこと。

校長になるような人は、意外に東大阪ではこのような仕事を経験している人は少ない。

若いうちに管理職になるのに、人権担当をがんばるという人が結構、管理職に就く。

それ以外に、生徒との関係がうまくいかない人も管理職になることが僕の周りでは多かった。

そんな人は、これらの仕事をしていない場合が多い。

40代の先生は、就職氷河期で本当に優秀な人が多い。

そのため、頼まれると嫌と言わない。

いえないんじゃなくって言わない。

ぼくといっしょに勤めていた大学も後輩の先生がおられたのだが、仕事についてなんでも、「簡単にできます。」と引き受けられる。

ぼくも割にそう思っていたのだが、あえてたいそそうに引き受けるようにしていた。

 

そうでなければ仕事が集まってくるのが学校という所。

そして出来ないという人が(引き受けない人が)結構多いのも事実。

あえてたいそそうに引き受ける人間にも、仕事は回ってくる。

 

結構40代には優秀な人が多いので仕事が集中してしまう。

 

この先生の場合は適応障害を起こしてしまった。

ぼくのほうも、最後のころの忙しさは、安い給料には(再任用の)合わないと定年で辞めてしまった。

それくらい、厳しくなってきていた。

僕よりも若く、そして有能な先生がこんな形で提訴をするということが寂しすぎるではないか。

 

問題は、校長にある。

一度進路指導主事をまじめにやってみたら、そんな無茶なことは言えない。

若いうちにおだてられて、管理職になった人間が有能な先生をつぶしてしまった。

 

裁判が終わったら、これだけ優秀なのだから、管理職にでもなってゆっくり教員人生を送ってほしい。

 

2023年2月15日 (水)

久し振りに中学校の理科の問題を解く。

友達の元社会の先生から電話があった。

一つは、一緒に卒業させた生徒たちとの同窓会の件。

もう一つは、孫さんの受験の応援。

理科の、問題の答えを教えてほしい。

実力テストらしい問題を3部郵送してきた。

1部1時間程度。

久し振りに自分の理科の知識がどれぐらい落ちているのかを見るのにいいなあと思いながら、もしもの時にわからなければ調べるつもりでパソコンを横に置きながら解いてみた。

ここ4年ぐらいはすっかり離れていたのだが、解けますね。

忘れてはいなかった。

むしろ、久しぶりに解いたものだから結構楽しかった。

ただ、病気上がりだから姿勢を保って時間を過ごすということは、いつもの胸の違和感があらわれる。

これもリハビリの一つとして仕方がない。

3枚で(解答だけではなく解説も入れていたので)3時間強の時間がかかったのだが、体の疲れは確かにあったがそれほどでもなく、頭はすっきりした感じだった。

やはりやりなれていることは、簡単にできるのだなあと感心した。

知識部分については教壇に立てるぐらいのものはまだ残っていそうだ。

 

ただ、体力面では今の状態では無理なのは病気明けだから。

しかし、気力と、経済的なインセンティブがまるっきりないのでそれはない。

 

問題を解くのは面白かった。

 

現職時代テストを作るのは楽しかった。

色々な問題集からそのまま問題を出したり、(生徒に補充用の問題集を買わせていてそこから同じ問題を出す。)他の問題集にのっている問題を出したり、それ以外にオリジナルで問題をつくったり。

公立中学校の場合には著作権法の例外規定で、テスト、授業に問題をそのまま使っても違反しないらしいから問題はないようだ。

 

生徒にやられたといわせる問題を1問ぐらいいれておく。

それと、まじめに勉強すれば、(ある意味理科が苦手で、問題集の答えを覚えておくでもいい)それなりに点が取れるようにもしていた。

その中で、必ずこれが出るという問題を公開して(これは授業中にこの問題を出してほしいと生徒からリクエストをとる。そのリクエストは全クラスに伝え、必ずこの問題は答えを変えないで出す)

そんなことをやっていた。

 

テストは勉強をするきっかけ。

教師としては評価をするためのものだが生徒としてはこれを勉強の糧にするもの。

それをいかに楽しく、またやる気にさせるかも教師の力量だと思う。

 

やればそれなりに点が取れるようにしていた。

 

この社会の先生とは、評価や、テストの出題の仕方などを若い時に結構話をさせてもらっていた。

僕はこんなことを考えるのが大好きだった。

 

こんな話も、学校ではやっているのだ。

 

2023年2月12日 (日)

いい子ね

若い時に副担をしてもらった先生で、非常に素晴らしい先生がいらっしゃった。

僕が中学校時代に家庭科を女子に教えておられて、僕のほうはその当時から存じ上げていた先生。

その先生は、生徒をほめまくる。

口癖というか、いつもおっしゃる言葉は「いい子ね」

どんな生徒でもこうおっしゃる。

僕が生徒に対して腹を立てていたら、その先生はその生徒のいいところをたくさん上げて、「こんないい子に腹を立ててはいけない」とおっしゃる。

生徒の前でも「いい子ね」を連発する。

ほのぼのとした雰囲気で、穏やかな感じの先生だった。

自分のクラスにかかわっていただくことによって生徒たちが本当に穏やかになった。

生徒も僕もみんなが穏やかになったようである。

とにかく「いい子ね」を職員室でも連発なさる。

穏やかな雰囲気が学校中に広がる。

人をほめるということにこんないい影響があるのかということはこの先生によって教えていただいた。


人というのは、穏やかな環境の中では穏やかになるというのがよくわかった

そんなことを経験させていただいてその後の教師生活の指針とさせてもらった。

 

子供たちは、いろいろな状況を抱えている。

その中で色々な反応をして、良くない行動をしてしまうものだ。

子供自身はみんな「いい子」なんだ。

という前提で接していけば、ほんとうに「いい子」になるのだということを見せていただいた。

 

そういう姿勢で教員生活を続けられた自分は幸せである。

 

若い人に先生は人をほめるのがうまいと褒めてもらったことがある。

これはこの先生の影響だと思う。

 

 

2023年2月 9日 (木)

校長先生、使い込みで懲戒免(58歳)

マンション投資しませんか?

こんな電話がかかってくる。

今から40年前なら、これは本当に儲かった。

僕の父親が建築屋をやっていて、地主に土地にマンション、貸工場などを建てることによって家賃収益を上げるというビジネスモデルを提案していた。

東大阪市のある地域の貸工場はその地域の不動産屋さんと組んでうちの父親が建設したものが多い。

NHKの連続テレビ小説の中にも出てくる、棟割りの工場群だ。

高度経済成長真っただ中、人口が増え、物が売れる時代の人の住むところ、物を作るところを作っているのだから儲かって当たりまえ。

地方から、大阪に来る人の企業の助けになるようなビジネスモデルを考えたのだか儲からないわけがない。

そんな感じの時代だった。

バブルを通り越して、低成長時代が続いて、人口減少時代に入ってまだそんなモデルが続いていると思って投資をした校長先生がいるらしい。

勉強不足。

不動産投資をしようと思ったら、それなりの勉強は必要。

借入なしに、投資などはできない。

校長先生をするぐらいの人だから、それなりに収入もあるのだと思う。

ただ、ある種の校長は、人にのせられて甘い言葉で騙される人も結構いる。

それが証拠にこの人は校長になっている。(笑)

 

マンションなどの案件を教員持ってくるのはマンション業界では当たり前。

ぼくにもしょっちゅうその手の電話がかかってきた。

僕は、その手の電話に丁寧に対応して、色々と質問をしまくる。

なんせ宅建主任の免許を持っているのだから、その業界の人たちの営業手法を覚えることで、退職後に役に立つのではないかという思いで対応させてもらった。

若いアポの子は、免許を持っていない人が多い。

そういう人に、儲かるのならなんであなたがしないのだ、なんていうことを聞いてみたりした。

必ずもうかるかという質問をする。

それには、はいという人はいなかった。

そこは不動産営業だけに、言われているのだと思う。

 

そんな業界からの誘いに乗ってしまう教員も少なからずいるみたいだ。

たいがいはその借金も共済組合や、退職金を当てにしたら普通は退職まで勤めたら返せてしまうので表面化はしない。

 

この校長そこまで追い詰められたのは、いかにに勉強不足だったのかよくわかる。

 

ある意味、金融機関が追い込みすぎたので、25万円なんて大したことのない金に手を出して懲戒免職。

あと数年で校長ならば退職金が2500万円以上。そして給料が1000万近く3年間で3000万円

5500万円も入ってくるのがパーになる。

 

で、思う事、借金の追い込みって、本当にきついのだということ。

冷静に考えて銀行に相談したら、何とでもなると思うのだが。

 

別に借金のことならば、破産宣告をしたからといって校長職を解かれることはない。

また、年金や退職金についても差し押さえられることも無い。

むしろ、それが入ることが前提で、有利な和解策も出すことができたのに。

誰とも話ができない、というかお金の話ができないというのが教員の世界。

 

そんな世界の中で、この校長先生悩みまくっていたんだと思う。

校長先生までなられた立派な人が(笑)5500万円(最低)を棒に振ってしまうぐらいの判断力がなくなってしまうとは驚きだ。

こういう不祥事で退職すると大変だろうなと思う。

 

就職を世話してくれる人がいたり、配偶者がしっかりしていたり(でもこの場合ならこうなる前に金策はできるか。)しなければ、今後生活は苦しいだろう。

手取り月50万円を超えて、ボーナスも手取り120万円と年2回もらいながら生活をしている。

さらに不動産投資をしていることを見ても普通の教員に比べてかなり贅沢をしているように思うのだが。

 

こんな中で今後の生活を考えていくのは本当にしんどいと思うのだが。

 

僕の、教員をやっていた時の心構え。

「懲戒免でも貯金は残る」

 

この校長先生の場合は借金が残っていそうなので普通の懲戒免より大変そうだ。

 

そうでもなかったら今後がたいへんだ。